小学校に行く途中の家の、コンクリートブロックのイチョウの形の穴から黄色いちいさな花をつけた枝をこぼしているのは“エニシダ”だ。
誰に教わったわけでもないのに、ヤマラハルヒはその花の名前を知っていて、前を通るたびに、「あ、エニシダ。あたしエニシダ好きなんだよね」と、セリフのようにココロの中でつぶやいた。雨のあがったあとは、枝を一房つかんで引っ張る。ばしっと跳ね返った黄色い花の枝が、雨つぶをまき散らし、ハルヒの友達を濡らす。今、近所の花屋の前に、ちいさなエニシダの鉢植えが800円で出ていて、よもや44歳になろうとしているヤマラハルヒは、やっぱりあいかわらず、ココロの中でそうつぶやき、店の前を通り過ぎた。
紫のひっくり返った葡萄の房のような花はライラック。色や香りとともに、ハルヒの思い出の中にある花なのに、実際にその花をみたのは数年前のイギリスのベイクウェルの田舎だった。車にはねられた、ウサギだかネズミだかの姿をみながら、蛇の気配におびえながら、ぶらりぶらりと歩いていたら、紫の花のしげみに出くわした。迷いこめといわんばかりに見事なしげみで、逆らえず、無作法にわっしわしとかきわけてすすんでみると、赤い三角屋根の屋敷があらわれた。広い芝の庭には、初夏にふさわしくとりどりの花が植わっていた。この行為は、ハルヒにとって、まるで少女漫画で、少女漫画の中の女の子は、こんなふうに花にさそわれて、泥棒まがいに好奇心をみたす。花を手折るかわりにデジタルカメラでそれらを盗み撮りして帰った。
誰に教わったわけでもないが、そのふたつの花の名前は、『りぼん』で覚えた。『りぼん』を読むまで、ハルヒが知っていた花の名前は、幼稚園の組の名前程度の、チューリップとか、ばらとか、花壇のパンジーとか、自由研究のアサガオ程度で、花は花でしかなく、ましてや絵に描かれたものなんてそこに何が描かれていようが花だった。でも、少女漫画家の先生の描く花には、名前があって、物語があった。
『ライラックの花のころ』は、タチカケヒデコのりぼん本誌デビュー作で、ちょうどハルヒが『りぼん』を読みはじめた頃に、彼女が『りぼん漫画スクール』でデビューした。絶賛の評をもらっていたのを記憶している。
今思えば、漫画を読みはじめたばかりで既に、ハルヒは新人賞のコーナーをチェックしていた。この同じ年だったと思うけれども、オグラフユミがやはり、入選デビューして、ほんの数センチのちいさなちいさな扉絵カットが、恐ろしくかわいらしくて、何度も何度も飽きもせずそれを眺めていた。オグラさんの入選作には、“既存の作家によく似ている”というような評がつけられていて、たしかに、それは、コドモゴコロにも、ムツエーコせんせいの絵にそっくりだったのだけど、ハルヒにとっては、それはもうムツエーコせんせい以上にせんせいだったのだ。
だって、いくら描いても、描いても、ハルヒの絵は『りぼん』のせんせいたちの絵にならないのだ。りんかくも、髪型も、どこかバランスが悪い。ウルウルと斜線で描かれたあの目にどうしてもならない。上手に女の子を描きたくて、描きたくて、ムツエーコせんせいやタブチユミコせんせいの絵をまねて練習するのに、ハルヒはそういう女の子の絵を、早くマスターして、クラスの誰よりも速く上手に描けるようになりたいのに。
それは、ヤマラハルヒのプライドだった。
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記憶の中のハルヒは、そういえば、家にいるときはいつも絵を描いていた。
ずいぶんちいさなころからそうだ。
ハルヒの記憶というのは、たぐりよせるたびに、さかのぼるたびに、何度やっても2歳の7月、弟が産まれた病院のかあさんの寝ている病室までしか戻れないから、そのころから、たぶんひとりでいつも絵を描いていた。
ハルヒのとうさん、かあさんが、絵を描いてる姿なんてみたことがないし覚えてないから、どうしてちいさなハルヒタンが、クレヨンを手にしたのか、紙に向ったのか。
でも、気がつけば、ハルヒは、絵が描けた。
絵を描くのが好きだった。
幼稚園の時、ハルヒは教室でひとり、頭身のある人間を描いていた。そう、他の子供たちが、どでかい頭から手足をはやすという、キョーイのびっくり人間、マンボウ人間を嬉々として描くなか、ハルヒは既に。
まあ、この記憶は、実際当時の絵を見てみれば、ところがところが、ハルヒこそびっくり人間を描いているのかもしれないのだけど、でも、覚えているのはハルヒには、描きたい絵があったということだ。
たとえば、ぬりえ帳のファッションドールのような。
たとえばテレビアニメの『魔法のマコちゃん』のような。
それから、幼稚園の先生たちのような。
うん、幼稚園の先生。
幼稚園の教室の窓や壁に飾られたウサギやクマの大きなかわいらしい絵。あれを描く先生たちのことは、ハルヒ、一目置いていた。
だから、本当に、来る日も来る日も、先生たちのようになりたくて、ハルヒは絵の練習をしていたのだ。
家でひたすら絵を描いたら、幼稚園にいって、教室の黒板を陣取り、またもくもくと描いた。もちろん、そこは人にみられる場所で、ハルヒはきっと昨日より上手になった絵を、教室の友達に見せびらかしたく、感心させたく、描いていた。ちょっと気のきいた女の子に、「ねえねえ、絵がうまいっておもってかいてるんでしょう。」と、みすかしたようににやにや笑いをされても。
たぶん、あの教室では一番上手いつもりで描いていた。
それが、小学校にあがると、ハルヒよりあきらかに上手な子たちが教室にたくさんいて、あれは、たぶんハルヒ、人生初に驚異を感じたように思う。クレヨンやマジックで描く“お人形さん”ではなくて、彼ら彼女らは、絵の具を使って、なんだか先生に褒められる絵を描くのだ。
これは、ちょっとハルヒには太刀打ちできないと思った。だって、それは確かに上手な絵なのだけれど、ハルヒの描きたい絵とは違うのだもの。
小学校にあがって早々に、ハルヒは、教室で一番絵が上手いつもりを捨てて、あいかわらずひたすらに、自分の描きたい絵の練習を続けた。
そういえば、小学校の通信簿にはいつも先生から“よそみ、ぼんやり、落書きが多い”との注意書きがあったけれども、ハルヒはほんとうに絵が上手になりたかったのだ。
そんな中、7歳の時に出会った『りぼん』は、さらにハルヒの向上心をかきたてたというわけだ。
そうだ、ハルヒはこういう絵を描く人になりたい!
漫画家という職業を意識したのも、この頃だと思う。
バスガイドや、お菓子屋さん、花屋さんのなかに、漫画家がならんだ。
いくら図工の時間の絵がうまくても、それが画家という職業に繋がるとは、幼いハルヒにもとうてい思えなかった。でも、漫画の絵がうまいと、そのさきには『りぼん』の漫画家という、輝かしい職業がある。
ただ、ハルヒはかしこかったのか馬鹿だったのか、プロの漫画家は、はんこを作ってもらえるのだと思っていた。でなけりゃあんなにきれいな同じ顔をいっぱい描けるわけがないと思っていた。
ああ、そしてもうひとつ。プロじゃない人は、扉絵とタイトルだけ描けばいいのだと思っていた。
つまり、『りぼん漫画スクール』は、まだ、はんこを持っていないシロウトだけど絵のうまい人たちの扉絵をみれる刺激的な場所だったのだ。
そこで、デビューしたタチカケヒデコのこと、オグラフユミのこと。プロじゃないのに漫画を描ける女の子がいる。“教室で一番上手い”に関しては、なんの執着もなかったが、彼女たちにはかきたてられた。それが“絵が描けるコドモ”のプライドだった。
ヤマラハルヒの修行の日々がはじまった。
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タチカケヒデコの『ほろほろ花の散る中で』は、もうハルヒがそろそろ、自分が『りぼん』の乙女チック路線を歩けないことを自覚しはじめた頃に読んだ。あいかわらず修行は続けていたが、描きたい絵も変わってきていた。
どうやら、この中にエニシダの枝で水を飛ばすエピソードがあったのらしい。
扉絵は、今も覚えているのだけれど、女の子が、黄色いエニシダの枝を両腕でまるでタキギのように抱えていて、エニシダの枝をそれだけかかえるには、ずいぶんダイタンな伐採作業が必要だったろうに、でも、それが当時のハルヒの心を揺るがした最後の乙女チックだったように思う。
小学校に行く途中の家の、コンクリートブロックのイチョウの形の穴から黄色いちいさな花をつけた枝をこぼしているのは“エニシダ”だったのだと、その花の名前を知った。友達に雨水を飛ばした記憶は、タチカケヒデコの漫画の中のものだったような気もする。
漫画は、中味も全部自分で描くんだ。はんこなんかないのだ、ということをハルヒはとうに知っていたが、その頃のハルヒは、くる日くる日も『エニシダ物語』というタイトルの漫画の扉絵を落書き帳に練習していた。はじめて自分が描く漫画のタイトルを考えた。いいタイトルだと思っていた。
ずっと練習していれば、そのうち、2P目が描けるような気がしていた。
お話が浮かんできて、きっと40Pくらいの漫画が描けるんだと思っていた。